💔なぜ?阪神淡路大震災で女性の犠牲者が1000人も多かった、その知られざる背景とは…💔

防災テクニック

みなさん、こんにちは。安心こちゃんです。
今日は、少し重いテーマかもしれませんが、私たちみんなが知っておくべき、そして未来のために考えなければならないお話をしたいと思います。

それは、阪神淡路大震災で、実は女性が男性よりも1000人も多く亡くなられたという事実についてです。このこと、ご存じでしたか…?

この衝撃的なデータは、神戸の女性団体がまとめた冊子で明らかにされました。2005年に発行されたその冊子は、震災から10年という節目に、災害と女性について深く考えるきっかけを与えてくれるものでした。

📊数字が語る、見過ごされてきた現実

改めて、データを見てみましょう。
震災全体の死者数は6434人。そのうち兵庫県内では6402人の方が犠牲となりました。
性別が不明な9人の方を除くと…

  • 男性:2713人
  • 女性:3680人

その差は、なんと967人。女性の方が多く亡くなられているのです。

来年で震災から30年。長い時間が経ちましたが、この男女間の死者数の差については、これまであまり広く議論されてこなかったように思います。「ご存じでしょうか」…女性団体の方々がそう問いかけずにはいられなかった背景には、この見過ごされてきた現実があったのかもしれません。

🤔「人口比?体力差?」それだけでは説明できない理由

「もともと女性の人口が多かったからでは?」「女性は体力がないから…」
そんな声も聞こえてきそうです。実際、震災直後を知るベテラン記者の方も、当時は人口比で説明されることが多かったと振り返っていますし、防災の専門家の中にも体力差を指摘する声はありました。

でも、本当にそれだけなのでしょうか…?

神戸市内の被害が大きかった6区のデータを見ると、1000人あたりの死者数は、

  • 女性:5.0人
  • 男性:3.7人
    さらに60歳以上の方に限定すると、
  • 女性:11.3人
  • 男性:8.8人
    と、その差はさらに開きます。単純な人口比や体力差だけでは、この現実は説明しきれないように感じますよね。

専門家が語る「本当の死因」とは

当時、兵庫県の常勤監察医として多くの検視にあたられた徳島大学大学院の西村明儒教授は、こうおっしゃっています。
「落ちてくるのは家の一部。体力があるから助かるというような、生やさしいものじゃない」と。

西村教授が神戸市内で検視された約3650人の記録によると、最も多かった死因は、柱や梁(はり)などに胸やお腹を圧迫されて呼吸ができなくなる「窒息死」でした。そして、このような圧死や窒息死は、その後の県の統計でも死因の約77%を占めていたのです。
西村教授は、こうした状況では「体力の差は(生死に)影響しにくい」と指摘されています。

では、なぜ男女の死者数にこれほどの差が出たのでしょうか…?

西村教授は、**「一人暮らしの高齢女性や母子家庭世帯など、弱い家に住まわざるを得なかった人たちに被害が集中した結果とも考えられる」**と、慎重に言葉を選びながら答えてくださいました。

実は、女性の死者が多いのは、阪神淡路大震災に限ったことではありません。2011年の東日本大震災でも、発生翌年に警察庁がまとめた死者数では、女性が男性を1000人ほど上回っていたのです。

大阪公立大学の宮野道雄客員教授(地域防災)は、「阪神・淡路での男女差はまだ小さい方だ」と指摘し、過去の災害、例えば昭和南海地震(1946年)や伊勢湾台風(1959年)では、年代によっては男女の死亡率の差が阪神淡路大震災の10倍に達することもあったと述べています。
その背景として、「小さな子を連れていたために、津波や大雨から逃げ遅れた。そうした母親の役割意識が影響した可能性がある」とも分析されています。

👵松村善子さん、79歳。一人暮らしだった彼女の最期

ここで、私たちが取材でたどり着いた、一人の女性のお話を紹介させてください。
松村善子さん。1915年生まれ。震災当時79歳でした。
善子さんは神戸市兵庫区の木造アパート「金竜荘(きんりゅうそう)」で一人暮らしをされていました。
若い頃にご主人を亡くし、女手一つで食堂「喜楽」を切り盛りしながら息子さんを育て上げました。「トシちゃん」と息子さんを可愛がり、お店に置いた貯金箱には、毎朝一番のお客さんからもらったお代を入れていたそうです。そのお金で、息子さんの新婚旅行の餞別も渡しました。

その後、脳梗塞で倒れ、食堂はやむなく閉店。雨露をしのげればと、家賃の安い「金竜荘」の6畳一間に移り住みました。そこはトイレ共同、お風呂もないアパートだったそうです。

震災直前の住宅地図を見ると、「金竜荘」の周りには、銭湯や鉄板焼きのお店、文房具店などがひしめき、当時の下町の賑わいが目に浮かぶようです。善子さんは、近所の中華そば屋さんや喫茶店によく顔を出していたといいます。

そして、1995年1月17日。
あの日、あたり一帯は猛火に包まれました。息子さんが駆けつけたときには、善子さんの最期を知る人はいませんでした。後日、焼け跡から見つかったのは、遺骨と思われる七つ、八つのかけらと、息子さんのお嫁さんが善子さんにプレゼントした手作りの湯飲み茶碗だけだったそうです…。

善子さんのように、一人暮らしの高齢女性が震災で何人亡くなったかを示す詳細なデータは、残念ながら見当たりません。しかし、震災当時、兵庫県内には独居の高齢女性が約7万人もいらっしゃり、これは男性の4倍を超える数だったという国勢調査の記録があります。(1990年)

💔見えてくるキーワード「女性」「高齢」「一人暮らし」

「女性」「高齢」「一人暮らし」。
これらのキーワードは、戦後50年にあたったあの年、未曽有の災害によって、まず危険にさらされたのが誰だったのかを私たちに教えてくれます。

兵庫県内の震災犠牲者のうち、60代以上の方が6割を占め、さらにその6割が女性でした。つまり、死者の3人に1人は60代以上の女性だったのです。

神戸・三宮の東遊園地にある「慰霊と復興のモニュメント」。そこには、震災で亡くなられた方々のお名前が刻まれた銘板がずらりと並んでいます。
善子さんの息子、登志夫さんは取材にこう語ってくれました。「東遊園地に行くとね、女の人の名前が多いなぁって、なんとなく思ってたんですよ」。
私も改めて銘板を前にして、こんなにも女性のお名前が多いことに、改めて気づかされました。

🙏私たちができること、考え続けること

震災の犠牲者数の性別差。その背景には、体力だけでなく、社会的な立場や経済的な背景、住環境など、様々な要因が複雑に絡み合っていることが見えてきます。
特に、高齢の女性や一人暮らしの女性、母子家庭の方々など、社会的に弱い立場に置かれやすい人々が、災害時により大きなリスクにさらされやすいという現実は、私たちが決して忘れてはならない教訓です。

災害はいつ、どこで起こるかわかりません。
そして、その時、最も厳しい状況に置かれるのは誰なのか。
私たちは、この問いを常に心に留め、誰もが安心して暮らせる社会、そして災害に強い社会を築いていくために、何ができるのかを考え続ける必要があるのだと思います。

善子さんの息子、登志夫さんは、毎朝、お母様の仏壇にお水を供えるのが日課だそうです。「暑かったやろな。お水飲めよ」と声をかけながら。「親一人、子一人。お袋には感謝しています」と、静かに語ってくださいました。

このお話が、みなさんにとって、防災について、そして私たちの社会について、改めて考えるきっかけになれば幸いです。

大切な命を守るために、安心こちゃんはこれからも情報を発信していきますね。

コメント

  1. 貴子 より:

    最近、独居老人の防災について考えて欲しい、と言われる事も多く、社会全体で考えなくてはならない問題ですよね。犠牲になる方に女性が多い理由も分かりました。貴重なお話ありがとうございました!

    • annsinnkotyann より:

      貴重なコメントをありがとうございます。

      独居高齢者の防災は本当に重要な課題ですよね。災害時における女性や高齢者の被害の多さには、社会的背景や支援体制の問題が深く関わっていると感じています。

      私たち一人ひとりがこの問題を「自分ごと」として捉え、地域や社会全体で支え合える仕組みをつくっていくことが求められています。今後の発信でも、そうした視点を大切にしていきたいと思います。

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