大きな災害のニュースのあと、「両陛下が被災地を訪問された」という報道を目にします。では、発災の日から訪問までの間に、皇室では何が行われているのでしょうか。この記事は、宮内庁が公式に発表している記録だけを、日付の順番に並べたものです。評価や意見は入れていません。
結論を先に言います。宮内庁の記録には、災害のたびに同じ順番があります。まず数日のうちに「お見舞いのお気持ち」が知事へ伝えられ、1〜2週間で「金一封」が県へ贈られ、1〜3か月後に被災地へ足を運ばれる。そして東日本大震災の時には、御所で1日2時間の自主停電が行われ、那須御用邸の温泉が被災者に開かれていました。
私は防災士として、宮内庁の「災害等へのお見舞い」の一覧、「被災地お見舞い」の記録、東日本大震災の時の宮内庁の取り組みのページ、天皇陛下のお誕生日に際しての記者会見の全文をもとに、この記事を書きました。敬称と言い回しは宮内庁の表記に合わせています。読み終わる頃には、災害の時に皇室が何をしているかの全体の型と、そこから自分の備えに引き取れることが1つ、手元に残ります。
全体地図|災害のたびに繰り返される3つの段階
| 段階 | 時期の目安 | 内容(宮内庁の発表の形) |
|---|---|---|
| ① お見舞いのお気持ち | 発災から数日 | 侍従長などを通じて、被災した県の知事へ。犠牲者へのお悼み、被災した方へのお見舞い、災害対応の関係者へのねぎらいの3点 |
| ② 金一封 | 1〜2週間 | 「甚大な被害を受けた○○県に対し、金一封を賜りました」の定型で発表。大きな災害では用途を限った2回目がある |
| ③ 被災地ご訪問 | 1〜3か月 | 避難所や被災した町を訪ね、一人一人にお見舞いの言葉をかけられる。復興の視察は何年も続く |

この順番は、能登半島地震でも、2026年の熊本地震でも同じでした。段階ごとに見ていきます。
段階①②|お気持ちと金一封。金額は公表されない
宮内庁の一覧を見ると、お見舞いの発表には2つの型があります。1つは「お見舞いのお気持ち」で、侍従長や宮内庁次長を通じて知事に伝えられます。もう1つは「金一封」で、被災した都道府県に対して贈られます。金額は公表されません。岩手県の公式ページには、受領の記録とともに「金額は非公表とされております」と書かれています。金額を書いている情報は、一次情報ではありません。
対象は地震だけではありません。宮内庁の一覧には、冷害(1993年)、台風、大雪(2014年・2015年・2025年・2026年)、林野火災(2025年の岩手県大船渡市)、豪雨(2024年の山形県、2026年の千葉県)が並んでいます。災害の幅は、私たちが「防災」と聞いて思い浮かべるより広いです。
宮内庁の発表文で、金一封の贈り先はいつも「○○県に対し」です。日本赤十字社を経由するという記述は、宮内庁にも日赤にもありません。皇室と赤十字の関係は別の形で、皇后陛下が日本赤十字社の名誉総裁(2019年5月1日ご就任)を務められ、毎年の全国赤十字大会にご臨席になります。義援金の受付と配分は日赤と各県の配分委員会の仕事で、金一封とは別の流れです。
段階③|被災地ご訪問。発災から何日目に、どこへ
宮内庁の「被災地お見舞い」の一覧から、発災日と訪問日を並べました。日数は私が計算したものです。
| 災害 | 訪問日 | 訪問先 | 発災から |
|---|---|---|---|
| 阪神・淡路大震災(1995年) | 1月31日 | 兵庫県 | 14日後 |
| 新潟県中越地震(2004年) | 11月6日 | 新潟県 | 14日後 |
| 東日本大震災(2011年) | 4月14日〜5月11日 | 千葉・茨城・宮城・岩手・福島 | 34〜61日後 |
| 熊本地震(2016年) | 5月19日 | 熊本県 | 本震から33日後 |
| 西日本豪雨(2018年) | 9月14日・21日 | 岡山・愛媛・広島 | 約2か月後 |
| 能登半島地震(2024年) | 3月22日・4月12日 | 輪島市・珠洲市 / 穴水町・能登町 | 81日後・102日後 |
2019年4月までの訪問は上皇上皇后両陛下(当時は天皇皇后両陛下)、能登半島地震は天皇皇后両陛下によるものです。訪問は1回で終わりません。阪神・淡路大震災は発災6年後の2001年に復興状況をご視察になり、10周年、20周年の国連防災世界会議にもご臨席になっています。新潟県中越地震も4年後に復興の視察があります。
東日本大震災の7週間
2011年は、被災県へ向かう前に、都内と近県の避難所を回られています。3月30日に東京武道館、4月8日に埼玉県加須市の旧騎西高校、4月14日に千葉県、4月22日に茨城県、4月27日に宮城県、5月6日に岩手県、5月11日に福島県。宮内庁の日付を並べると、7週続けて毎週どこかの被災地に立たれていたことになります。「7週連続」という言葉は宮内庁の記載ではなく、日付の並びから読み取ったものです。
能登半島地震の時系列
1月1日の発災に対して、翌2日に新年一般参賀が取りやめられました。1月5日、侍従長を通じて石川県知事へお見舞いのお気持ちが伝えられ、宮内庁の文面には「深くお心を痛めて」の一節と、前年に石川県を訪問されたことへの言及があります。1月12日、石川・新潟・富山の3県へ金一封。3月22日、輪島市と珠洲市を訪ねられ、同じ日に避難者支援のための2回目の金一封が石川県へ。4月12日、穴水町と能登町を再訪。移動中のヘリコプターからも被災地の状況をご視察になったと、宮内庁は記しています。
訪問のご様子として宮内庁が書いている言葉は、「一人一人に丁寧に」お見舞いの言葉をかけられた、献花の際に「心をこめてご黙礼」、被災当時の状況と今の生活の苦労を一人ずつお聞きになった、商店街で店の方に声をかけられ営業再開を喜ばれた、というものです。報道で語られる細かな所作については、宮内庁の文章で裏の取れる範囲だけをここに書いています。
2026年の熊本地震でも、同じ順番だった
2026年7月28日16時27分、熊本でマグニチュード7.1、最大震度7の地震が起きました。宮内庁の記録では、8月3日に天皇皇后両陛下と愛子内親王殿下が側近を通じて熊本県知事へお見舞いのお気持ちを伝えられ(発災6日後)、8月10日に熊本県へ金一封(13日後)。段階①②が、能登の時とほぼ同じ日数で進んでいます。被災地ご訪問は9月下旬で調整中と報じられていますが、この記事を書いている9月6日の時点で宮内庁の公式発表はありません。
東日本大震災の時、御所で行われていたこと

この記事でいちばん知られていないと思う事実です。宮内庁の公式ページに、こう記録されています。
御所では2011年3月15日から、計画停電の第一グループのスケジュールに合わせて、1日1〜2回、1回およそ2時間の自主停電が行われました。計画停電が原則実施されなくなった4月8日以降も続けられ、4月末で終了しています。宮殿は節電のため使用が控えられ、その年の10月からは儀式と行事だけを宮殿で行い、日常のご執務は御所で行う形に変わりました。宮内庁の庁舎も、日中の消灯、エレベーターの抑制、暖房19℃、冷房28℃を徹底したと記録にあります。
施設も開かれました。栃木県の御料牧場の鶏卵や缶詰が、3月25日から4月28日まで6回、県内6か所の避難施設へ届けられました。那須御用邸の職員用施設の温泉が被災者に開放され、栃木県の保健師による健康相談が併設されて、3月26日から4月19日までに9か所の避難所から延べ449名が利用しました。宮内庁病院は、東京都に対して安定期の患者を10床まで受け入れられると連絡しています。皇居東御苑の休園日には避難者が招かれ、京都御所などの見学も京都府内の避難者向けに行われました。
発災5日後の3月16日には、上皇陛下(当時は天皇陛下)のビデオメッセージが出されました。全文が宮内庁のサイトに残っています。自衛隊・警察・消防・海上保安庁・自治体・海外からの救援者への感謝と、「希望を捨てることなく」「長く心を寄せて」という言葉が含まれています。

行かない、という配慮も記録されている
2015年9月の関東・東北豪雨の時、9月17〜18日に予定されていた栃木県日光市へのご訪問が取りやめられました。宮内庁の記録には、知事や関係機関が災害対策に専念できるようにとのお考えから、と書かれ、その旨が侍従長から知事へ伝えられました。災害の直後に足を運ぶことだけが配慮ではなく、受け入れる側の負担を考えて行かない判断も、同じ一覧の中に残っています。
天皇陛下が2026年2月に「南海トラフ」に触れられたこと
2026年2月19日、お誕生日に際しての記者会見で、東日本大震災から15年、熊本地震から10年という節目についての質問に、天皇陛下はこう述べられています。大規模な災害の経験と教訓を「世代を超えて語り継ぎ」、復旧・復興の経験を心に留め、将来起こり得る南海トラフ地震や首都直下地震などに対して「今一度私たちの備えを」確認する必要があると強く感じる。「天災は忘れた頃にやってくる」という警句も引かれています。全文は宮内庁のサイトで読めます。
四国に住む私たちにとって、南海トラフが名指しで語られた言葉です。備えを確認する、という一点だけを受け取れば、この記事の役目は足ります。
この記録から、自分の備えに引き取れること3つ

評価は書きません。ただ、宮内庁の記録に残っている「型」は、私たちが誰かを支える時にもそのまま使えます。
1つ目は、まず一報、次にお金、最後に足を運ぶという順番です。発災直後の被災地は、人が来ること自体が負担になります。数日で気持ちを伝え、1〜2週間で支援を送り、現地の受け入れが落ち着いてから訪ねる。遠くの親戚や友人が被災した時の順番として、そのまま当てはまります。
2つ目は、行かないことも配慮のうちだということです。ボランティアに行く前に、受け入れ体制が整っているかを確認する。関係者が対応に専念できる時期には、こちらの予定を下げる。災害ボランティアの作法は災害ボランティア参加ガイドに、遠くの家族を支える時の連絡の順番は共助の作り方ガイドにまとめています。
3つ目は、自分の暮らしのほうを先に変えることです。御所の自主停電は「1日1〜2回、約2時間」という、家庭でもそのまま真似できる単位で記録されています。計画停電の時、電気が来ている地域の家が自分から2時間消す。それが、被災地に回る電気を増やす一番身近な支援でした。停電に備える家の作り方は停電対策まとめにあります。
まとめ|一報、お金、訪問。そして暮らしを先に変える
宮内庁の記録に残る災害への対応は、数日でお見舞いのお気持ち、1〜2週間で金一封、1〜3か月で被災地ご訪問、その後何年も続く復興の視察、という順番で並びます。東日本大震災の時は、御所で1日2時間の自主停電が行われ、御用邸の温泉と宮内庁病院の病床が被災者に開かれました。予定していた訪問を取りやめた記録もあります。2026年2月には、南海トラフ地震を名指しして「今一度私たちの備えを」確認する必要があると述べられました。
今日できることを1つだけ。遠くに住む家族や友人が被災した時の「最初の一報」の文面を、スマホのメモに1行だけ書いておいてください。「無事を知りたい。返事はいつでもいい」。順番の1つ目は、それで済みます。
この記事の出典
- 宮内庁「災害等へのお見舞い」(平成元年〜平成27年、令和6年、令和7年、令和8年の各一覧)
- 宮内庁「被災地お見舞い」(上皇上皇后両陛下のご活動、天皇皇后両陛下のご活動)、「令和6年能登半島地震 被災地お見舞い」(3月22日・4月12日)
- 宮内庁「東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば」(2011年3月16日)、「御所での計画停電に対応した自主停電の取組について」、「避難者等に対する宮内庁施設の提供」
- 宮内庁「天皇陛下お誕生日に際し(令和8年)」記者会見(2026年2月19日)
- 岩手県「天皇皇后両陛下からの災害お見舞金」(金額非公表の記載)、日本赤十字社「皇后陛下 日本赤十字社名誉総裁ご就任」(2019年5月)、内閣府「日本赤十字社による防災活動」
- 気象庁「令和8年熊本地震」、NHK(2026年8月3日のお見舞いのお気持ちの報道)
※この記事は2026年9月6日時点の宮内庁の公式発表と公的記録をもとに書いています。金額の推測、報道や週刊誌で語られる所作、政治的な評価は書いていません。発災からの日数は発表の日付から私が計算したものです。


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