体育館に入った。隣は知らない家族。物音を立てるたびに気を遣い、咳が出ても言い出せず、薬のことも誰に言えばいいのか分からない。この記事は、避難所で「自分が安心して過ごす」ための言い方を、場面ごとにそのまま使える形で書いたものです。人に優しくする話ではありません。自分の境界線と、必要な物を、角を立てずに伝える技術の話です。
結論を先に言います。避難所で安心を作るのは、最初の10秒の一言と、必要な物を「理由つきで」伝える型です。そして、話したくない日は話さなくていい。これはWHOの手引きに書かれていることです。困りごとは隣の人ではなく、相談の窓口に言う。国のガイドラインが「避難者同士では語り合えないこともある」と認めたうえで、そう勧めています。
私は防災士として、WHOの心理的応急処置(PFA)の日本語版、内閣府の避難生活の取組指針と避難者カードの標準フォーマット、厚生労働省の避難所の健康管理ガイドライン、内閣府と富山県の避難者アンケートをもとにこの記事を書きました。セリフは全部、その資料の考え方から組み立てています。読み終わる頃には、避難所で最初に言う一言が決まります。
全体地図|5つの場面と、その一言
| 場面 | 言うこと | 言う相手 |
|---|---|---|
| 着いた時 | 名前・入る合図・お願いの3点を10秒で | 両隣 |
| 場所を決める時 | 「ここは通路にしますね」と先に宣言する | 両隣 |
| 何かを頼む時 | 状況→必要→理由→代案の順に言う | 運営・相談班 |
| 体のこと | 眠れているか・食べられているか・お通じ・熱・薬の5つ | 保健師・巡回の医療者 |
| 話したくない時 | 「今は話したくないです」と言ってよい | 誰にでも |
上から順に、避難所に着いてから起きる順番です。5つとも「相手を責める言葉が入らない」ように作ってあります。責める言葉が入らなければ、言った後に気まずくなりません。それが、自分が安心して過ごすための条件です。
なぜ言い方なのか|避難所を避ける理由の6割は「プライバシー」
内閣府が2018年に、災害を経験した1,000人に聞いた調査があります。在宅で避難した456人のうち、「避難所では生活できないと考えた」人は116人。その116人の6割(70人)が理由に挙げたのは「プライバシーが保てないから」でした。次が「集団生活に馴染めないから」の2割(23人)です。物が足りないからではなく、人との距離が理由で避難所を選ばない人がいる、ということです。
同じ調査で、避難所にいた人にプライバシーへの配慮を聞くと、「あまり配慮されていなかった」「配慮されていなかった」を合わせて半数でした。間仕切りや世帯ごとのエリアは、国の指針が自治体に求めている物ですが、着いた日に全部そろっているとは限りません。設備が足りない分を、言葉で埋める。それがこの記事の立場です。
一方で、富山県が能登半島地震の後に県民に聞いた調査では、避難所で良かったこととして「周りに人がいると安心だった」「同じように避難してきた人と情報共有することができた」という声が挙がっています。人がいることは、負担にも安心にもなります。どちらに転ぶかを分けるのが、最初の一言です。
最初の10秒|名前・入る合図・お願い
隣に入る時に言うのは3つだけです。名前、入る合図、お願い。「山田です。子どもと2人で隣に入ります。よろしくお願いします」。これで10秒です。名字だけでよく、相手の返事は待たなくて構いません。

目的は仲良くなることではありません。顔と声を知っている相手の物音には、人は寛容になれます。夜中に袋がガサガサ鳴っても、「さっきの山田さんだ」と分かれば、知らない人の音とは受け取られ方が変わります。もう1つの目的は情報です。富山県の調査で良かったことに挙がった「情報共有」は、隣と一言交わした人にだけ起きます。給水車が来る時刻や、トイレの空き具合は、掲示板より先に隣から入ってきます。
言えなかった日は、翌朝の「おはようございます」で同じ効き目があります。挨拶は一度きりのものではないので、遅れても損はしません。
境界線|「ここまで」を角なく伝える

自分の場所を守る言い方は、相手を止めるのではなく、自分の側を先に宣言することです。荷物を置く時に「ここは通路にしますね」と口に出すと、その線は自分が決めた線になります。荷物は横に広げず、上に重ねます。横に広げた分だけ隣との距離が縮まり、線があいまいになるからです。
それでも自分のスペースに入ってこられる時があります。我慢しなくてよい根拠が1つ。静岡県は共同生活のルールとして「お互いのプライバシーを尊重し、むやみに他人の場所に立ち入らないようにしましょう」と公式に書いています。言い方は、「すみません、ここはうちの荷物の場所なので、通る時は声をかけてもらえますか」。相手の行動を禁止するのではなく、通る時の合図を頼む形にすると、断られにくくなります。
間仕切りが無い避難所では、段ボールや毛布を立てて目線を切るだけで、境界線は目に見える形になります。言葉で線を引いたあとに物で線を見せる、の順番です。
頼み方|状況→必要→理由→代案の4段
場所を替えてほしい、物資を回してほしい、医師に会いたい。避難所で何かを頼む時は、順番を決めておくと言えます。①いま何が起きているか(状況)、②してほしいこと1つ(必要)、③周りにも良い理由(理由)、④だめでも困らない形(代案)。この順に言うと、運営の人が「はい」と言いやすくなります。

例を1つ。「夜、咳が止まらなくて(状況)、壁際に移りたいです(必要)。周りの方の眠りを妨げたくないので(理由)。空きがなければ廊下側でも構いません(代案)」。同じ型で、薬の話も言えます。「薬が3日で切れます(状況)。巡回の時に医師に会いたいです(必要)。飲まないと発作が出るので(理由)。薬の名前は手帳に書いてあります(代案)」。
「すみません」から始めないのがコツです。謝罪から入ると、頼みごとが「迷惑」の形になります。状況から入ると、責める言葉も謝る言葉も入りません。相手も自分も、気まずさが残りません。
誰に言うかも決まっています。内閣府の取組指針は、避難所の運営を「調整班・情報班・管理班・相談班・食料班・物資班・環境班・保健班・要配慮者支援班」などの班に分けることを例示しています。困りごとは「相談班」、体のことは「保健班」、物は「物資班」。隣の人に言っても解決しない用件を、隣の人に言わずに済みます。班の名前が掲示されていなければ、受付で「相談を受けてくれる人はどなたですか」と聞けば足ります。
支援者に伝える|保健師には5つ、遠慮なく

避難所には保健師や看護師が巡回に来ます。国の指針がその体制を自治体に求めているからです。聞かれた時に答える中身は、厚生労働省の避難所チェックリストが観察している項目とそろえると通じやすくなります。眠れているか、食べられているか、お通じ、熱や下痢、持病の薬。この5つです。
言い方は事務連絡でよく、「眠れていません。3日目です」「薬があと2日分です。血圧の薬です」で足ります。厚労省のガイドラインは、高血圧・喘息・てんかんなどの慢性の病気について「治療を中断すると病気が悪化する恐れがあるので、医師・保健師・看護師等に相談するよう勧めましょう」と書いています。薬の相談は、遠慮ではなく、向こうが待っている用件です。
最初に書く避難者カードも、同じ役割をします。内閣府の標準フォーマットには、病気・けが、妊産婦、乳幼児、障がい、要介護、医療機器、アレルギーのチェック欄と、「医薬品や粉ミルク等の必要物資、その他特別な要望があれば記入して下さい」という特記事項の欄があります。特記事項を空欄で出さないでください。ここに書いた1行が、あとで自分を助けます。様式は自治体ごとに違いますが、多くの様式に同じ欄があります。
書いた後に事情が変わったら、言い直していい根拠もあります。内閣府のフォーマットには「内容に変更がある場合には速やかに避難所スタッフに申し出てください」と書かれています。初日に書き忘れた薬のことを、3日目に言うのは遅くありません。
断る時|理由で断る
「うちにも分けて」と言われた時の断り方は、角の立たない断り方3選の記事と避難所の人間関係の場面別まとめに分けて書いています。この記事から足すのは1つだけです。断る時も、頼む時と同じ型が使えます。状況と理由を先に言うと、断りの言葉から「あなた」が消えます。「トイレは回数が決まっていて、分けた分だけ家族の日数が減るんです」。相手を責める言葉が1つも入っていません。
話さない自由|「今は話したくないです」と言ってよい
避難所では、被災した時のことを聞かれます。答えなくていい、と書いてある公的な資料があります。WHOが2011年に出した心理的応急処置(PFA)の手引きは、支援する側に向けて「体験したことを話すように無理強いしないことが重要です。自分の経験や状況を話したくない人もいます」と書いています。支援のプロがそう教わっているのですから、あなたが「今は話したくないです」と言うのは、正しい返事です。
言い方は短くていいです。「今はちょっと。落ち着いたら話します」。相手が善意で聞いてきた時ほど、この一言で線を引かないと、話したくないことを毎日話すことになります。
逆に、言われて傷ついた言葉が正しくなかった、と分かる根拠もあります。同じ手引きは「そんなふうに思ってはいけませんよ」「助かって良かったじゃないですか」を、言ってはならない言葉として名指ししています。こう言われてつらかった日は、自分の受け取り方の問題ではありません。
名前を出すかどうかも選べます。仙台市の避難者カードには「安否の問合せに情報を公表してもよいですか」の欄があり、はい・いいえは自分で選ぶ欄です。避難所にいることを誰にも知らせたくない事情がある人は、ここで「いいえ」にできます。
相談窓口|避難者同士では言えないことを言う場所
厚生労働省の避難所の健康管理ガイドラインに、この記事の立場をそのまま書いた一文があります。「プライバシーの観点から、避難者同士では語り合えないこともあるでしょうから、保健師や専門の相談員などに相談するよう、促しましょう」。国が、隣の人に言わなくていいことがある、と認めています。
窓口は2つあります。内閣府のガイドラインは、保健や医療の担当が受ける「健康相談窓口」と、避難所運営委員会が受ける「困りごと相談窓口」を分けて設けるよう求めています。体のことは前者、場所や物や人のことは後者です。さらに取組指針は、相談窓口には女性を配置することが適切、と書いています。「女性の担当の方にお願いできますか」は、わがままではなく、指針どおりの頼み方です。
相談窓口で解決しないことも、そこで止まりません。指針は、避難所で対応できない要望は市町村へ、市町村でも対応できなければ都道府県へ伝える仕組みを作ることを求めています。窓口に言った一言は、その先に届く経路を持っています。
眠れない・イライラする・動悸がする、が続く時の目安も、厚労省のガイドラインにあります。「6秒で大きく吐き、6秒で軽く吸う」を朝夕5分ずつ試して、それでも眠れない・動悸が苦しい時は、身近な人か専門の相談員に相談する。自分で線を引く基準として使えます。
平時の備え|一言カードを袋に入れる
この記事のセリフは、避難所に着いてから考えると出てきません。名刺くらいの紙に、名前・家族の人数・持病・薬の名前・アレルギー・連絡先を書いて、持ち出し袋に入れておきましょう。避難者カードの特記事項は、この紙を見て写せば1分で埋まります。保健師に聞かれた時も、紙を見せれば口で説明しなくて済みます。カードを入れる袋の中身全体は防災リュックの中身完全一覧で確かめられます。
薬の名前は、お薬手帳をスマホで撮っておけば十分です。撮り方と、薬が切れた時の動き方は災害時に薬が切れたらの記事に書いています。眠るための道具(耳せん・アイマスク・床の冷えを断つマット)は避難所で快適に眠る方法の記事、夜の音と光で気まずくならない備えは避難所の消灯後の記事にまとめています。
揉め事そのものが「決めていなかったから起きる」仕組みであることは、避難所で揉めるパターン5選の記事にまとめています。
まとめ|最初の10秒と、理由つきの頼み方
着いたら、名前・入る合図・お願いを10秒で。荷物は上に重ね、「ここは通路にしますね」と自分で線を引く。頼む時は状況→必要→理由→代案の順で、「すみません」から始めない。保健師には眠り・食事・お通じ・熱・薬の5つを事務連絡で。話したくない時は「今は話したくないです」でよく、それはWHOの手引きが支援者に教えている扱いと同じ。避難者同士で言えないことは、健康相談窓口と困りごと相談窓口へ。順番はこれだけです。
今日できることを1つだけ。家族と、避難所で最初に言う一言を決めてください。「〇〇です。〇人で隣に入ります。よろしくお願いします」。名字と人数を入れて、声に出して1回。避難所で同じ言葉が出るかどうかは、今日の1回で決まります。
この記事の出典
- World Health Organization ほか『心理的応急処置(サイコロジカル・ファーストエイド:PFA)フィールド・ガイド』(2011年。日本語版: 国立精神・神経医療研究センターほか、2012年)
- 内閣府『避難生活における良好な生活環境の確保に向けた取組指針』(2024年12月改定)、『避難所運営等避難生活支援のためのガイドライン(チェックリスト)』(2024年12月)、『避難者カード標準化プロジェクト 自治体支援フォーマット』
- 内閣府『避難所の役割についての調査検討報告書』(2019年。2018年12月のインターネット調査・1,000人)
- 厚生労働省『避難所生活を過ごされる方々の健康管理に関するガイドライン』(2011年6月)
- 富山県『令和6年能登半島地震に係る県民アンケート調査 報告書』(2024年8月)、静岡県『共同生活のマナーとルール』、仙台市『避難所運営マニュアル 様式集』
※この記事は2026年9月7日時点の公的資料をもとに書いています。避難者カードの様式や班の名前は自治体ごとに違います。避難所では、その施設の運営者と保健師の案内を優先してください。


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